Destination Restaurants
by Sawako Kimijima
国土の7割を森林が覆い、世界で6番目に長い海岸線が取り囲む。
南北に長く、気候は多岐に渡り、動植物の種類は多様性に富む。
そんな日本の濃密な自然を舞台として、そこでしか体感できないシェフの創造性を味わう時代へと、レストランシーンの最前線は突入している。
「Destination Restaurants」では、訪れるべきレストランを毎年10店ずつ選んで発表していく。
「日本発信のレストランセレクションを」がこの企画の発端である。“日本人が選ぶ、世界の人々のための、日本のレストランリスト”を作るべきではないか。そんな議論から「Destination Restaurants 2021」は立ち上がった。
本題に入る前に、少しだけグルメガイドの歴史を振り返ってみよう。1900年創刊の「ミシュラン」、1969年創刊の「ゴ・エ・ミヨ」など、メディア独自の審査基準と調査に基づく格付け型ガイドブックが権威を誇ったのが20世紀。21世紀に入ると、インターネットの普及と共にカスタマーレヴューによる得点型ガイドが活発化した。また、2002年に英国の出版社が始めた「世界ベストレストラン50」、07年にNY在住のレコード会社経営者のブログから始まった「OAD(Opinionated About Dining)」など、世界を旅する食通によるランキングがレストランシーンを賑わせる。地域も料理ジャンルも取り払った境界のないランキングの活況は、都市ごとの格付けからグローバルでフラットな地平での競争への移行でもあった。
「東京は世界一星の数が多い都市」と言われるように、概して日本のレストランに対する評価は高い。しかし、ランキングやガイドの多くは海外の評価機関を母体としている。ワールドワイドな視点や価値観で選ばれる反面、日本の風土や精神性の細部にまで目が行き届いているかと言われれば疑問だ。
「1897年に創刊されたジャパンタイムズは、当時日本にあった、外国人が外国人の目で見た日本を伝える英字新聞では日本が伝えたい情報が発信されていない、という課題を解決するために、福沢諭吉や伊藤博文などの支援でスタートしたという歴史があります。そのフィロソフィの上に立ち、日本人が選び、伝えたい、オーセンティックな日本の食文化を世界に発信しようとの思いがこのセレクションのバックボーンにある」と社主の末松弥奈子は語る。
選考にあたったのは、辻芳樹氏、本田直之氏、浜田岳文氏。国内外のレストラン事情に精通し、何よりレストラン文化を愛してやまない3人である。
彼らはまず選考の前提条件として「東京23区と政令都市を対象から外す」という大胆な決断を下した。理由の第一は、日本の風土の実像は都市よりも地方にあること。第二に、このセレクションが地方に埋もれがちな才能の発掘に寄与するためだ。第三に、既存のセレクションとの差別化の意味もある。ガイドやランキングを見比べれば一目瞭然だが、ランクインする顔ぶれは類似し、かつ固定化しがち。新たに立ち上げる以上、独自的で革新的なリストを目指したという。「いい意味で型が固まり切っていない、これから進化していく10店を選んだ」と浜田氏は言う。
料理人がいることで立ち上がる景色(ヴィジョン)がある――その例証が世界各地から報告されているのが、昨今のガストロノミー界の動向である。動植物の生態、地形や地質、気候、季節の移ろい、人間の創造性、伝え継いできた知恵や技など、レストランとは自然と人間の営みをトータルで映し出す装置と言っていい。
「元来、欧州では、高い評価を得る店は概して不便な場所にある」と、本田氏と浜田氏は口を揃える。「何時間もかけて車を飛ばしてたどり着くような環境の中で、そこでしか手に入らない食材を使い、そこでしか味わえない体験を提供する店が支持を得る」。代表例として、辻氏はフランス・オーベルニュ地方のミシェル・ブラスの名を挙げる。「ブラスはオーブラックの土地と一体化して、風景も植生も生活文化も工芸品も包括的に取り込み、大地の劇場として存在している全方位型のレストラン」。
「この数年で、日本でもブラスのような店が増えてきた」という実感が3人にはある。料理人の探求がより素材へ、素材の生産方法や土壌や環境へ、すなわち料理の源流へとさかのぼっているからだろう。田畑で野菜や米の栽培をする、山菜やキノコを採集する、釣りや狩猟を行なう、肉加工品や発酵食品作りを手掛ける、ブドウを栽培してワインを造るといった自給自足型の料理人が存在感を発揮するようになった。「地産地消」ならぬ「自産自消」という言葉も登場した。レストランを生産から消費まで生命体の循環の舞台と捉え、より良き食のあり方を探る場と位置付ける料理人も少なくない。そう志向し始めた時、都市はもはや創作活動の場とはなり得ない。
本田氏が「このレストランの登場によって、日本のディスティネーションレストランのあり方が変わるだろう」と指摘するのが、昨年12月、富山県南砺市利賀村にオープンした「レヴォ」である。詳しくはロビー氏によるレポートを参照されたいが、利賀村の消滅集落、利賀川を望む約7500㎡の敷地に建つ。オーナーシェフの谷口英司氏は、道を拓き、水道を引き、畑を開墾し、レストラン棟、コテージ、サウナ棟など計6棟をかつてこの地にあった集落をイメージして配置した。インテリアやテーブルウェアは地元の作家が手がけ、食材や酒はもちろん地元産。自ら野菜を育てながら、「l'evo」(evolutioniに由来)の名にふさわしい革新的な料理を作る。
「店へたどり着くまでの道のりが物語」と語るのは辻氏だ。「レヴォが基盤とする風土、谷口シェフのクリエイションを支える酒蔵やワイナリー、陶芸家たちの存在を感じながら、山奥へ入っていくと、雪が解け始めた山道の両脇にふきのとうが顔を出している」。皿の上のクリエイションが優れていなければ当然論外だが、レストランの魅力とは皿の上に限った話でないこともまた事実。ゲストにとっては店までのアプローチからがレストラン体験であり、ディスティネーションレストランたる所以だ。本田氏いわく「山ごと抱え込んだレヴォのありようは、2年後、10年後を想像すると、期待感しかない」。
浜田氏はこれらのレストランの社会的な役割にも着目する。世界中からゲストを集めるレストランが地域経済に及ぼす効果は明白であり、加えて、料理人のクリエイティビティは地域の漁業や農業に刺激を与え、活性化を促す作用もある。レストランが発揮し得る機能に関して日本の社会はまだまだ認識が甘い。
石川県野々市市で「すし処 めくみ」を営む山口尚享氏は、店から能登半島の七尾公設市場まで約100kmの距離を毎日約4時間かけて往復して魚を調達する。納得のいく魚を求めて自力で切り拓いた仕入れルートだ。漁師と直接コミュニケーションをとる中で、入手する魚のクオリティを上げてきた。さらに下処理や仕込みに時間をかけて、素材の味わいを磨き上げていく。漁師と共に奥能登の海と対峙しながら鮨を握る山口氏の姿勢は、奥能登の魚に対する世間の認識を高め、後進の料理人の意識に刺激を与えた。そんな山口氏が今直面するのは魚の入手が厳しさを増す現実。気候変動や海洋資源問題との向き合いである。
一方、岩手県遠野市「とおのや 要」の佐々木要太郎氏は、田畑を耕し、自家栽培の米でどぶろくを醸しながら、小さなオーベルジュを営んできた。試行錯誤を繰り返して確立させた独自の手法で仕込むどぶろくの洗練された味わいは従来の概念を覆す。スペイン「ムガリッツ」のシェフ、アンドーニ・ルイス・アドリスも魅了されて愛用する一人だ。そんな佐々木氏が栽培する米は、日本版ヘリテージグレイン「遠野一号」。交配や品種改良が著しく進む以前の品種である。すなわち佐々木氏のクリエイションには希少種の保存と継承という側面があることを忘れてはならない。
食べる立場では見えにくい、使う立場・作る立場にならないと見えてこない風景が料理人には見えている。であるがゆえに生産の現場へと踏み込む料理人は増える。未来を意識する料理人ほど地方へと向かう社会状況がある。
「SNSの浸透によって、人里離れた僻地でも店の存在が知られる時代になった」と本田氏。「発見されるまでのリードタイムが短くなって、ユニークな才能を潰さずに済むようになった」と浜田氏。「東京23区と政令都市を対象から外す」という思い切った前提条件はネット社会だからこそ成立したのは間違いない。「このセレクションには、アクセスの悪い場所でのチャレンジを応援する意味もある」と本田氏は語る。
江戸料理の継承者、鮨職人、懐石料理、フレンチ、イタリアン……、シェフのキャリアも料理ジャンルも様々だ。長年にわたって日本に蓄積されてきた料理文化の厚みを証明するセレクションでもあろう。
「海外からのゲストのみならず、より多くの日本人に出向いてほしい。そのためには平日にも休みが取りやすいといった自由度の高いワークスタイルの促進が求められる。日本の社会の変革も必要ですね」と浜田氏。このセレクションがカバーする領域は思うよりはるかに広く、これからの社会に少なからぬ影響力を及ぼしていくことになるだろう。
料理通信社 編集主幹
2006年、国内外の食の最前線の情報を独自の視点で提示するフードマガジン『料理通信』を創刊(2021年1月号をもって休刊)。Web料理通信「The Cuisine Press」では時代に消費されない本質的な食のあり方を示すコンテンツを届ける。辻静雄食文化賞専門技術者賞選考委員。『&Premium』やデザイン誌『AXIS』でコラムを連載。著書に『外食2.0』(朝日出版社)。