June 20, 2022
里山十帖
ライター:寺尾妙子
撮影:鷲崎浩太郎
新潟県南魚沼の大沢地区は昔から最も良い米が穫れる地区とされている。ワインでいえば、ロマネ・コンティの区画のようなエリアである。そんな水田を見下ろすように温泉旅館〈里山十帖〉は建つ。築150年、総欅、総漆の古民家を利用したは館のそばには自前の田んぼもあり、10月以降はスタッフ自ら育て、収穫したものを含め、地元の新米がゲストに供される。
「うちのメインディッシュは土鍋で炊いた白飯です」とシェフ、桑木野恵子は胸を張る。米を研ぎ、炊くすべての水は大沢の湧水。山々に囲まれ、人と山とが共生する里山の恵みが濃縮された一品だ。ディナーでは火を止めてすぐ、米という素材が、ごはんになった瞬間をほんのひと口、出す。このときはアルデンテ。そこから蒸らすことで、やわらかく甘味が引き出され、底には香ばしいおこげができていく。時間の経過で味も食感も変わる、ごはんのフルコースだ。
その前後を伝統野菜を中心に、地元で穫れる食材が彩る。前菜には川で獲れたカジカのフライ。刺してある清涼感のある香りの黒文字の小枝は、桑木野が森で手折ってきたものだ。こんな風に、シェフ自ら山や畑で採る木の実や花、ハーブなどが料理に風味を添える。炭火で焼いた鮎、その骨と肝でつくったペーストを絡めた手打ちそばを合わせたひと皿は、まるでイタリアンのパスタのような趣だ。続く、「『中島巾着茄子』」パプリカ 韮花」は、火を入れても崩れない密度の高い中島巾着茄子を主役に、白胡麻と野菜の出汁を合わせた植物性の旨味だけで表現したスープ、刻んだパプリカと韮花を添えた椀物。この後、佐渡産ノドグロの炭火焼き、キラムギトンという豚のステーキが出て、土鍋ごはん、デザートとなる。ここまで、現代の日本料理で主流をなす鰹と昆布の出汁は一切、使われていない。地元でとれる野菜や魚からバラエティ豊かな旨味を抽出できるからだ。それは豊かな南魚沼の風土あってこそだ。
桑木野は8年前にここで働くようになってから、普段はタクシー運転手である“師匠”にさまざまなことを教わった。山菜なら収穫の時期や場所、調理法はもちろん、春の芽吹きから枯れて土に還るところまで見届けること。オスとメスを見分けて、オスは未来のために残すことなど。ヤマブドウや栗など木の実についても同様だ。それら収穫物を乾物、塩漬け、アルコール漬け、燻製にして貯蔵し、料理に生かす。それは冬、深い雪で閉ざされてきたこの土地に受け継がれてきた知恵でもある。目と鼻の先には、江戸時代の冬に全村餓死したところもある。おいしさとは、食べるとは。改めて考えさせられる一軒である。