長野県茅野市にあるイタリアンレストラン『カエンネ』。東京から行く場合は新宿からJR中央本線で2時間超の茅野駅で降り、そこからタクシーで30分弱で到着する。八ヶ岳の麓、標高1000mの場所にあるため、夏でも車を降りた瞬間、ひやっと冷気を感じる。現在、このあたりはゴルフ場やテニスコートも散在する別荘地だが、およそ4000~5000年前は多くの縄文人が暮らしていた。茅野市だけで273カ所の縄文遺跡があり、「縄文のビーナス」の愛称で知られる国宝の土偶もこの地域で見つかっている。日当たりのよい台地で、木の実をもたらす広葉樹の森が広がり、山菜やきのこが採れ、鹿や野うさぎ、鴨などの野鳥獣が暮らし、川ではアマゴや岩魚が泳ぐ。縄文人も堪能したであろう山の恵みは今もこの地に溢れている。
『カエンネ』のオーナーシェフ臼井憲幸は、オリーブオイルを除き、八ヶ岳を中心に半径20km以内で産する食材だけを扱う。よって海のものは扱わないが、それでも余りあるほど素材に恵まれた土地である。おまけに水や空気がおいしい。
「同じ水で育ったもので合わせると、料理が体にスーッと入ってくるような味に仕上がるので、水が違う長野県北部のものは使いません」
八ヶ岳を知り尽くすかのような臼井だが、生まれ育ちは神奈川県。大学卒業後、料理人を志し、都内のイタリア料理店数軒を経て、2009年にイタリアへ渡り、研鑽を重ね、2012年に帰国した。都内の店でシェフも務めたが、イタリアの修業先のように、自然豊かな環境で料理をしたいという思いが強くなり、2017年、妻の故郷である長野県に移住。最初は蓼科エリアにレストランをオープンしたが、2020年4月に長野県茅野市に移転し、改めて薪火料理を掲げる『カエンネ』を開いた。料理人は自分ひとり。昼は妻もサービスを手伝う。
臼井は縄文人がしたように、薪で食材に火を入れる。昼夜共に¥17,600円のコース10品中、ほとんどの皿はときに強く、ときに微かに、薪の香りをまとって供される。
「薪での調理は独学で身につけました。ガスコンロや炭火とは異なり、薪の場合、燃焼とともに木から蒸発する水分によって、素材の中身が蒸されてふっくらと焼き上がるんです」
確かに湧水で育った岩魚もサフォークラムも表面はこんがりと色づいているのに、中心はしっとり。咀嚼すると肉汁が滴るような焼き上がりだ。
この薪焼き料理と並ぶスペシャリテがコースの最初に登場する自然熟成ハムだ。臼井はイタリア時代、パルマ地方の生ハム工房で働き、「生ハムの王様」と称されるクラテッロの製法を学んだ。この製法をベースに、長野県産の豚肉を用い、地酒の糀を塗って作る。冬には氷点下10度にもなる八ヶ岳の外気に当てながら1年かけて熟成させるハムはこの土地そのものの味がする。縄文から続く、自然と人間の共生から生まれる料理を求めて、山の向こう、海の向こうから訪れるゲストが増え続けている。